競馬の用語集 - 「け」|競馬予想サイトの口コミ情報

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競馬の用語集 - 「け」

「け」から始まる競馬に関する用語集です。

ゲート

スターティングゲートのこと。

検量

出走馬ごとに定められた負担重量をチェックするために騎手が行なう検量のこと。
発走の70分前に出走する全騎手が行なう「前〔まえ〕検量」と、レース終了後に7位までに入線した騎手および裁決委員が特に指定した騎手について行なわれる「後〔あと〕検量」の二つがある。

検量室

検量をするところが検量室で、現在はデジタル計量秤で検量を行っている。
出走馬は定められた負担重量を背負わねばならないが、この重量をチェックするために、レース前に行なうのが前検量、レース後に行なうのが後検量で、前検量はレースの70分前から始まり、後検量はレース終了直後に7位までの騎手と裁決委員が特に指定した騎手について行なわれる。
騎手は公表された重量で騎乗しなければならないが、計量の結果、重量が超過した場合は、その超過重量が2キロの範囲内であって、裁決委員が認めたときはその計量した重量で騎乗できる(発表重量は変更)。
また、前検量において計量した重量と後検量において検量した重量の差が1キロを超えた場合には失格となる。
ただし裁決委員が降雨、泥水付着などの理由によりやむを得ないと認めたときは失格とはならない。

毛づや

馬の栄養、健康状態が端的に現われるのが毛づやである。
つやつや光って見えるのは栄養十分、運動状態もよいし内臓の疾患もなく、健康状態であることを示している。
不健康な馬は毛につやがなく、毛が立ってボサッとしている。ただ毛づやは手入れの良し悪しによっても違うので、パドックで馬を見た場合、本当に毛づやが悪いのか、手入れが悪いのかを見極める必要がある。

毛色

サラブレッドの毛色は、8種(栗毛、栃栗毛、鹿毛、黒鹿毛、青鹿毛、青毛、芦毛、白毛)と決められている。白毛は非常に珍しく、日本には数頭しかいない。

毛花(けばな)

めったに見られない毛先の現象で、毛にツヤがなく、立ってボサッとしているように見える。冬毛のことや、また手入れの悪いものをさして言う。
実際に毛花が咲くと言われるのは、最高潮から下降線をたどるときに、上皮に疲れが出はじめ、毛の先端がブラシをかけても直らないことで、疲労の前兆によるところがある。

気配

馬の動き、仕上がり度合や、気合いが入っているかどうかなど、あらゆる面を総合して観察した雰囲気。

決勝審判(けっしょうしんぱん)

到達順位の判定、到達差及び決勝線に到達した馬の競走に要した時間を決定する執務員のこと。

減量騎手

騎手免許をとったばかりの若い騎手は、ベテラン騎手に比べると技術が未熟で同一条件で競走した場合、どうしても不利になる。
そこでこういう騎手に騎乗機会を多く与え、育成を図るために、免許の通算取得期間が3年未満であって、勝利度数が100回以下の騎手(見習騎手)に減量制度がとられている。
そのことから、減量騎手とも呼ぶ。見習騎手が特別競走とハンデキャップ競走以外の競走に騎乗する場合、その騎手の通算勝利度数により各々負担重量は以下のとおり減量される。

競馬サークル

馬主、生産者、厩舎関係者(調教師、調教助手、騎手、厩務員、装蹄師、獣医ら)、中央競馬会およびその外郭団体の職員をひとまとめにして「競馬サークル」と呼ぶ。
最近では、これに競馬ジャーナリズム(競馬評論家、競馬記者、トラックマンら)も加えて、もっと広い意味で「競馬サークル」と呼ぶことが一般的になった。

競馬倶楽部

文久元年(1861)、横浜の居留地で行なわれた競馬がわが国の近代競馬の幕開けとされている。日本最初の競馬倶楽部も文久2年に横浜にできた。
明治38年に馬券の発売が黙許されて以降、各地に競馬倶楽部が乱立したが、大正13年、競馬法が適用されると同時に、札幌、函館、福島、新潟、松戸、東京、横浜、京都、阪神、小倉、宮崎の以上11の倶楽部に統合された。

競馬成績公報

レースの成績、配当、売得金などを明記したJRAが発行する公式な印刷物。

競馬法

日本における近代競馬は、1861年に横浜の相生町で居留外人を中心として始められた。
1905年には、馬券黙許の措置が講ぜられたが、これに伴い競馬熱は異常に高まり、競馬会が乱立するにつれ、いろいろな弊害も目立ってきた。
こうした情勢の中で、1908年10月1日に新刑法が施行され、馬券発売はこれに違反するとの議論がなされるにいたり、同年10月6日、政府は馬券の発売を禁止した。
その後、馬券発売禁止の下で、政府の補助金等により競馬はかろうじて存続したが、大戦後の赤字財政下、軍馬を中心とする馬匹改良の必要に迫られ、1923年にいたり競馬法(いわゆる旧競馬法)が施行され、馬券発売が復活した。しかしながら、クラブ(許可を受けた社団法人)による競馬の施行には種種の問題がつきまとい、全国的規模の競馬団体を創設し、ひとつの有機体として競馬の運営がなされることが強く望まれ、馬政調査会の答申を受け、1936年9月20日競馬法の一部を改正する法律が施行され、日本競馬会が設立されることとなった。
終戦後の競馬の施行方針に関するGHQの意向は、民間への完全開放もしくは国または地方公共団体による施行ということであり、この意向にそって、日本競馬会、馬匹組合連合会及び中央馬事会は解散をせざるを得なくなった。こうして1948年7月19日に地方競馬をもあわせて規定した新競馬法が施行され、国営競馬時代が始まった。
日本競馬会が行なっていた競馬は国に引き継がれたのである。
しかしながら、国営競馬については一種の道義的問題、国が施行する競馬を同じ国が監督する不自然さ、さらには国家予算に拘束されるため運営の弾力性をかくこと等から民営移管論議が高まりを見せ、その当時検討されていた大規模な行政整理の動きと相まって、1954年9月16日、日本中央競馬会法の施行により、競馬法は改正され、日本中央競馬会が設立され、国営競馬を引き継ぐこととなった。
日本中央競馬会の初代理事長には安田伊佐衛門が就任した。

繋駕速歩(けいがそくほ)

右前肢が出ると同時に、左後肢が出る歩法で行なわれる競馬で、4本の肢のうちどれかが地面についてないと失格となる。
この点においては騎乗速歩と同じだが、騎乗速歩は人が馬に乗るのに対し、繋駕速歩は馬に乗らず繋駕車(車輪のついた駕籠)に乗って行なわれる。
古代ローマで戦争に使われていた戦車にスタイルは似ている。中央競馬では昭和43年に廃止された。かつての競馬倶楽部「鳴尾速歩競馬会」は、この繋駕速歩を専門に行なっていた。

血統

それぞれの馬の父母の系統のこと。競馬では優秀な血統の馬でなければ好成績をあげる確率が低いとされる。
しかしその評価は絶対なものではなくそこに競馬を楽しむ面白さがある。
競走馬として好成績をあげるには、もちろん血統だけでなく、馬体やその他諸種の条件が揃っていることも必要だが、血統はもっとも根本的なものといえる。

血統書

サラブレッドの血統を記した本。1793年に初めての血統書ともいうべきゼネラル・スタッドブック第1巻がイギリスのジェームス・ウェザビィによって刊行され、その後4年ごとに出版されている。
世界の競馬開催国もその伝統にならい、各々血統書を出している。現代の全ての馬は、家系図のように血統書を辿っていくことで出自が明らかになり、最終的には三大始祖に辿り着く。
なお、各馬には、血統登録証明書が交付され、これがないと競走馬登録ができない。

血統登録

生まれてきた仔馬について、母馬に種付けをした父馬を確認し、品種、血統を登録し、毛色や特徴を記録すること。
人間で言えば、戸籍に当たる。現在の日本の競馬では、(財)日本軽種馬登録協会の登録を受けたものでなければ競走に出走することはできない。

軽種(けいしゅ)

サラブレッド、アラブ、アングロアラブなど軽快で競走または乗用に適するもの。昭和49年6月1日の軽種馬の品種の改訂でサラブレッド、アラブ、アングロアラブ、サラブレッド系種、アラブ系種の5種となり、それまでの準サラという品種はなくなった。

軽速歩(けいはやあし)

速歩のとき騎手が馬の動きに合わせて鐙に立つ、鞍に座る、を繰り返すことをいう。速歩の反撞による人馬への負担を低減するための技術。

顕彰馬(けんしょうば)

昭和60年に日本中央競馬会創立30周年記念事業の一環として、中央競馬の発展に多大な貢献のあった過去の名馬の功績をたたえ、顕彰して、後世に伝えていくようになった。
平成20年12月末現在28頭が選出されている。

鶏跛(けいは)

パドックでもまれに見受けられる異常歩様で、鶏の歩く様に似ているところからこの名がある。
後肢が地面を離れる時に急激に肢を上げる歩様が特徴的である。通常、常歩〔じょうほ〕(歩いている状態)でのみ現われる。駈歩〔きゅうほ〕(キャンター)、襲歩〔しゅうほ〕(ギャロップ)では消失するので、レースに対する支障はない。

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